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( 2024/11/28 )
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残滓断片@01
( 2007/08/25 )
没原稿置き逃げ第一弾!
視界の隅を、白い―――白にも似た淡い色彩の何かが、掠めた。
空を見上げていた女、佐保青柳は、ぴくりと肩を揺らして、若葉の色をした瞳を動かした。
何処にあるのだろうかと、考えながら。
風に煽られて、新緑の髪が散った。
酷く目立つ色だ。普通は有り得ないそれは、紛れも無く彼女の天然の色で。
新緑の前にあるのは、春で。
はる、と心の中で呟いた彼女を肯定するかのように、視界には、
桜、が。
「――――」
思わず、青柳は息を詰めた。
桜には、良い思い出が無い。
少なくとも、彼女の中には。
しかしそれでも、桜は春の象徴であり、春は彼女そのものであり、そして春の花の代表格である桜は―――青柳にとって、この上無く大切なものだった。
この身をして、惜しくない程には。
「あぁ―――」
感嘆の、声。
「随分と綺麗に咲いたね、桜が。―――と言っても、未だ五分咲きか」
それは、青柳の声ではなかった。
驚いて、青柳が振り返る。若葉の眼が見開かれる。気配など微塵も感じなかった。
全然、全く、本当に何も―――気付かなかった。佐保家宗主足るこの自分が、だ。
「……ッ!」
「やあ、御機嫌麗しゅう」
少女は―――
彼女は。
今まで存在しなかった筈の人物は、まるでいるのが当たり前だとでも言うように、いない方が不自然なのだとでも言いたげに、普通の顔をして佇んでいた。
息を飲む青柳の表情を気にも留めず。
ただ、微笑む。
「初の御目文字と相成る、現佐保家宗主佐保青柳殿」
「―――初めまして。御名前を伺っても?」
青柳はそう言った。いつまでも取り乱してなどいられなかった。
場合によっては―――問題だ。
年は恐らく、青柳の半分程度か、もう少し上か。浮世離れしているようでいて何処までも厳粛な雰囲気を持つ、矛盾した存在。
漆黒の髪と、灰色の瞳。濁ったような、白濁したようなそれではなく、純度の高い―――銀にも、似た。
色付いた唇が言葉を紡ぐ。
「名前。名前―――ね。ふむ、この場合名前と言うのはそれ程重要かな? 私はただの女子高生なのだが?」
「『ただの女子高生』は、こんな所に楽々と入って来れる筈は無いわ」
「まぁ、そうなのだろうな」
ふふと、楽しげに笑う。その顔が、気に入らない。
馬鹿に―――しているのか。此処は、佐保家の本邸だ。彼女のような異分子が、本来入って来られる訳が無い。
青柳の表情からその感情を読み取ったのか、少女はやれやれとでも言いたげに肩を竦める。
「本当にこの場合、私の名など意味は持たないのさ。一応通り名はあるがね。助言者、異端者、愚者、識者、先見者、隠棲者、透視者、発狂者、道化役者、……あぁ、部外者などと呼んだ者もいたな。だが自ら名乗る場合、私は概ねこう言う事にしている」
そして彼女は、完全に完璧に洗練され尽くした、しかし何処か道化染みた大仰さと滑稽さで一礼した。
「―――傍観者だ。以降宜しく」
「傍観者……」
青柳は、眼を細めた。少女に、嘘を言った様子は無い。しかし―――聞いた事の無い、名だった。
首を振る。確かにこの場合、彼女の名に意味など無かったようだ。ならば、残るは。
「……用件は何かしら? 場合によっては、敵に回るかも知れないけれど」
「おやおや、恐いね。佐保を敵に回すなどと―――ふふ、竜田とどちらが恐ろしいのやら。似たようなものなのかも知れんが」
「その割には余裕そうね?」
「当然だ。敵には回らないからね」
意外な物言いに、青柳は眼を見開いた。それならば、正式な手段で訪ねれば良い話だ。
宗主である自分に会うには相当苦労するだろうが、見付かった時点で命すら危うい今の状況よりは、幾分かマシだろう。
そう言おうとし―――しかしそれを見計らったように、言う。
「君の、敵には」
「私の―――『佐保家宗主』の?」
「否、『佐保家宗主』ではなく『佐保青柳』のだよ。まぁ、どちらにしろ同じ事だが」
しかし、意味合いは果てしなく違う、と―――
彼女は言った。全てを見透かしているかのように。
先程の台詞の中に『透視者』なる言葉があった事を思い出し納得する。そして他の、様々の異名にも。眼の前の少女には確かに、この自分を圧して然るべき何かがあった。
多分、直接的に戦えば、勝つ。しかしそれとは違う、もっと根本的な部分で―――何か、底の知れなさを感じる。
有り体に言えば、気味が悪かった。佐保家の敷地内にあっさりと入り込んだ事と言い、亡霊でも相手にしているかのようだ。
しかしそんな青柳の感想など知らぬげに、少女は笑む。上機嫌に。
「春は好きだよ。秋も好きだが。それだけじゃなく、夏も冬も好きだ」
今は後ろの三つは余計だったな、と続けて。
「芽吹きの季節だ」
「…………」
そんな事は当然だろう、と言おうとして、出来なかった。何故かは判らない。言ってはならない気がした。
そして悟る。
「貴女―――それだけを、たったそれだけを言う為に、……この庭園に、侵入したの?」
「大切な事だろう?」
それこそ、何を問うているのかと言いたげに。
しかしそんな事は最早瑣末な事だとでも言うように、次の瞬間には別の話題を口にする。
「しかし、見事な桜だね。桜の木の下には―――と、有名な小説を思い出して仕舞う程度には。うん、満開になるのが楽しみだね。今でさえこれなのだから」
そして屹度来年にはもっと素晴らしく咲くだろうよと笑えない事を言って。
「だが、―――気付かずに蕾を摘んで仕舞う事も、あるんだ」
「…………え」
「春は芽吹き、なのだよ。そして芽吹いた命に気付かずに、踏み潰す―――よくある事だ。非常に、よくある事だ」
嫌な、予感がした。
しかしそれが何とは言えずに、言う事が出来ずに、結局沈黙しようとして、その沈黙すら、許して貰えそうにはない。
「何が―――目的、なの?」
「目的?」
少女はちょいと眉を上げた―――意外な事を聞いたかのように。
「傍観者に目的などある訳無かろう?」
「でも、貴女は此処に来たわ」
「それは、私が予め此処に来る事になっていたからだよ」
意味の判らない―――言葉だった。
一瞬内通者を疑ったが、それでは意味が通じない。
では、と―――考える。
では、文字通りの意味か、と。
ならば。
しかし答えを言う前に、少女の方が口を開いた。
「私がね、どんなに抗おうと逆らおうと運命は変わらない、星宿は歪まない。そしてだからこそ、私は願いを託しに来たのだよ―――君に」
「私に?」
「そう。抗えぬものに抗う為に。叶わぬものを叶える為に。変わらぬものを変える為に。世界に何かを、齎す為に」
「何か?」
「そう、何か。それは何でも良い、何でも良いのだよ本当に―――私と言う存在はこんなにも無力なのだから。ほんの少しだけと、夢くらい見たかった。……それだけ、だよ」
「それだけ………」
青柳は、呆然と。
再び、彼女の言葉を反復した。
そして、それによって一瞬だけ銀鼠の瞳の少女から逸れた意識を戻そうとした時には―――既にその場にいるのは、佐保青柳だけになっていた。
忽然と、痕跡すら欠片も残さずに。
彼女は、この場から消失していた。
空を見上げていた女、佐保青柳は、ぴくりと肩を揺らして、若葉の色をした瞳を動かした。
何処にあるのだろうかと、考えながら。
風に煽られて、新緑の髪が散った。
酷く目立つ色だ。普通は有り得ないそれは、紛れも無く彼女の天然の色で。
新緑の前にあるのは、春で。
はる、と心の中で呟いた彼女を肯定するかのように、視界には、
桜、が。
「――――」
思わず、青柳は息を詰めた。
桜には、良い思い出が無い。
少なくとも、彼女の中には。
しかしそれでも、桜は春の象徴であり、春は彼女そのものであり、そして春の花の代表格である桜は―――青柳にとって、この上無く大切なものだった。
この身をして、惜しくない程には。
「あぁ―――」
感嘆の、声。
「随分と綺麗に咲いたね、桜が。―――と言っても、未だ五分咲きか」
それは、青柳の声ではなかった。
驚いて、青柳が振り返る。若葉の眼が見開かれる。気配など微塵も感じなかった。
全然、全く、本当に何も―――気付かなかった。佐保家宗主足るこの自分が、だ。
「……ッ!」
「やあ、御機嫌麗しゅう」
少女は―――
彼女は。
今まで存在しなかった筈の人物は、まるでいるのが当たり前だとでも言うように、いない方が不自然なのだとでも言いたげに、普通の顔をして佇んでいた。
息を飲む青柳の表情を気にも留めず。
ただ、微笑む。
「初の御目文字と相成る、現佐保家宗主佐保青柳殿」
「―――初めまして。御名前を伺っても?」
青柳はそう言った。いつまでも取り乱してなどいられなかった。
場合によっては―――問題だ。
年は恐らく、青柳の半分程度か、もう少し上か。浮世離れしているようでいて何処までも厳粛な雰囲気を持つ、矛盾した存在。
漆黒の髪と、灰色の瞳。濁ったような、白濁したようなそれではなく、純度の高い―――銀にも、似た。
色付いた唇が言葉を紡ぐ。
「名前。名前―――ね。ふむ、この場合名前と言うのはそれ程重要かな? 私はただの女子高生なのだが?」
「『ただの女子高生』は、こんな所に楽々と入って来れる筈は無いわ」
「まぁ、そうなのだろうな」
ふふと、楽しげに笑う。その顔が、気に入らない。
馬鹿に―――しているのか。此処は、佐保家の本邸だ。彼女のような異分子が、本来入って来られる訳が無い。
青柳の表情からその感情を読み取ったのか、少女はやれやれとでも言いたげに肩を竦める。
「本当にこの場合、私の名など意味は持たないのさ。一応通り名はあるがね。助言者、異端者、愚者、識者、先見者、隠棲者、透視者、発狂者、道化役者、……あぁ、部外者などと呼んだ者もいたな。だが自ら名乗る場合、私は概ねこう言う事にしている」
そして彼女は、完全に完璧に洗練され尽くした、しかし何処か道化染みた大仰さと滑稽さで一礼した。
「―――傍観者だ。以降宜しく」
「傍観者……」
青柳は、眼を細めた。少女に、嘘を言った様子は無い。しかし―――聞いた事の無い、名だった。
首を振る。確かにこの場合、彼女の名に意味など無かったようだ。ならば、残るは。
「……用件は何かしら? 場合によっては、敵に回るかも知れないけれど」
「おやおや、恐いね。佐保を敵に回すなどと―――ふふ、竜田とどちらが恐ろしいのやら。似たようなものなのかも知れんが」
「その割には余裕そうね?」
「当然だ。敵には回らないからね」
意外な物言いに、青柳は眼を見開いた。それならば、正式な手段で訪ねれば良い話だ。
宗主である自分に会うには相当苦労するだろうが、見付かった時点で命すら危うい今の状況よりは、幾分かマシだろう。
そう言おうとし―――しかしそれを見計らったように、言う。
「君の、敵には」
「私の―――『佐保家宗主』の?」
「否、『佐保家宗主』ではなく『佐保青柳』のだよ。まぁ、どちらにしろ同じ事だが」
しかし、意味合いは果てしなく違う、と―――
彼女は言った。全てを見透かしているかのように。
先程の台詞の中に『透視者』なる言葉があった事を思い出し納得する。そして他の、様々の異名にも。眼の前の少女には確かに、この自分を圧して然るべき何かがあった。
多分、直接的に戦えば、勝つ。しかしそれとは違う、もっと根本的な部分で―――何か、底の知れなさを感じる。
有り体に言えば、気味が悪かった。佐保家の敷地内にあっさりと入り込んだ事と言い、亡霊でも相手にしているかのようだ。
しかしそんな青柳の感想など知らぬげに、少女は笑む。上機嫌に。
「春は好きだよ。秋も好きだが。それだけじゃなく、夏も冬も好きだ」
今は後ろの三つは余計だったな、と続けて。
「芽吹きの季節だ」
「…………」
そんな事は当然だろう、と言おうとして、出来なかった。何故かは判らない。言ってはならない気がした。
そして悟る。
「貴女―――それだけを、たったそれだけを言う為に、……この庭園に、侵入したの?」
「大切な事だろう?」
それこそ、何を問うているのかと言いたげに。
しかしそんな事は最早瑣末な事だとでも言うように、次の瞬間には別の話題を口にする。
「しかし、見事な桜だね。桜の木の下には―――と、有名な小説を思い出して仕舞う程度には。うん、満開になるのが楽しみだね。今でさえこれなのだから」
そして屹度来年にはもっと素晴らしく咲くだろうよと笑えない事を言って。
「だが、―――気付かずに蕾を摘んで仕舞う事も、あるんだ」
「…………え」
「春は芽吹き、なのだよ。そして芽吹いた命に気付かずに、踏み潰す―――よくある事だ。非常に、よくある事だ」
嫌な、予感がした。
しかしそれが何とは言えずに、言う事が出来ずに、結局沈黙しようとして、その沈黙すら、許して貰えそうにはない。
「何が―――目的、なの?」
「目的?」
少女はちょいと眉を上げた―――意外な事を聞いたかのように。
「傍観者に目的などある訳無かろう?」
「でも、貴女は此処に来たわ」
「それは、私が予め此処に来る事になっていたからだよ」
意味の判らない―――言葉だった。
一瞬内通者を疑ったが、それでは意味が通じない。
では、と―――考える。
では、文字通りの意味か、と。
ならば。
しかし答えを言う前に、少女の方が口を開いた。
「私がね、どんなに抗おうと逆らおうと運命は変わらない、星宿は歪まない。そしてだからこそ、私は願いを託しに来たのだよ―――君に」
「私に?」
「そう。抗えぬものに抗う為に。叶わぬものを叶える為に。変わらぬものを変える為に。世界に何かを、齎す為に」
「何か?」
「そう、何か。それは何でも良い、何でも良いのだよ本当に―――私と言う存在はこんなにも無力なのだから。ほんの少しだけと、夢くらい見たかった。……それだけ、だよ」
「それだけ………」
青柳は、呆然と。
再び、彼女の言葉を反復した。
そして、それによって一瞬だけ銀鼠の瞳の少女から逸れた意識を戻そうとした時には―――既にその場にいるのは、佐保青柳だけになっていた。
忽然と、痕跡すら欠片も残さずに。
彼女は、この場から消失していた。
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